学院の沿革

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照暗女学校の時代

西暦 邦暦 平安女学院の動き 社会の出来事
1859 安政6 米国聖公会 日本伝道に着手 5月J.リギンス司祭長崎に着任  
    6月C.M.ウイリアムズ司祭長崎に着任  
1867 慶応3   大阪川口に居留地設定
1868 明治1   明治維新
1870 明治3 3月ウイリアムズ監督(主教)川口与力町の自宅で英語礼拝を開始 横浜フェリス女学校開設
1871 明治4   大阪テモテ学校開設
1872 明治5   京都女紅場開設、学制公布
1873 明治6 11月ウイリアムズ主教東京に転住 切支丹禁制の高札撤去
1874 明治7 3月米国聖公会宣教教師ミス・エレン・G.エディの日本派遣を決定 民撰議院設立建白
    11月同宣教教師大阪に着任 自由民権運動の展開
1875 明治8 9月ミス・エディ女学校を始める 生徒3名 同志社英学校設立
1877 明治10 4月生徒数は33名内2名はエディの家に居住する 西南の役
1879 明治12 女生徒20名男生徒5名寄宿生7名給費生3名 学制を廃し教育令を制定
1880 明治13 エディの学校の生徒4名受洗
「照暗女学校」(英語名セント・アグネス・スクール)と称する
集会条例制定
1881 明治14 6月ミス・エディ帰国 後任校長にミス・ミキー就任 開拓使官有物払下げ事件
    普通科四年、高等科二年の女学校規則を制定 国会開設の詔
1882 明治15 生徒は29名給費生14名はすべて寄宿生 日本銀行開業
1883 明治16   鹿鳴館時代
1884 明治17 生徒は36名 男子を入学させないことに決定する 華族令制定
1885 明治18 校舎を改装初等・中等・高等の教室、応接室、食堂、裁縫室等できる 内閣制度制定
    6月末で学期終了し、7・8月は裁縫と料理を教える  
1886 明治19 ミセス・ラニング辞任 ミス・ウイリアムソン3代目校長に就任 学校令公布
1887 明治20 12月寄宿生55名通学生20名教室と寄宿舎を増設 日本聖公会の組織成立
1888 明治21 平均出席者75名 第1回卒業生田中はな教員となる 枢密院設置
1889 明治22 11月米国聖公会京都における伝道開始 大日本帝国憲法発布
1890 明治23 10月コレラ大流行のため始業を遅らせる 教育勅語発布
1891 明治24 6月学校を日本人の管理に委ねることとし、顧問委員会を設置  
    ミス・ウイリアムソン退任4代目校長に沢村繁太郎就任 内村鑑三不敬事件
1892 明治25 沢村校長辞任後任校長に千石温知就任 「万朝報」創刊
    委員会京都移転を決定 7月学校及び教会用地を取得 濃尾地震
    10月京都府より「私立照暗女学校」の設立認可  
1893 明治26 3月京都における照暗女学校の設計図面完成  
1894 明治27 6月旧照暗女学校閉校に伴い生徒16名を立教女学校に転校させる 日清戦争開始