学院の沿革

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京都移転-平安女学院としての再出発

西暦 邦暦 平安女学院の動き 社会の出来事
1894 明治27 10月京都照暗女学校理事委員会を組織  
    11月理事委員会校名を「平安女学院」と改め1895年4月開校を決定  
    12月同委員会院長にグリング司祭、設立名義人に多川幾造を決定  
1895 明治28 2月田村初太郎を教頭に委嘱 「高等女学校規則」制定
    3月予備科二年普通科四年裁縫科三年高等科(文学部・師範部)二年とする 下関条約調印
    4月8日仮開校式 来会者40余名入学生は5名 三国干渉
    6月新校舎(明治館)落成  
    9月20日始業式出席生徒20名内旧生徒8名新入生徒12名  
    10月秋期運動会として愛宕郡西幡枝村で松茸狩を行う  
1896 明治29 1月25日開院式を挙行 来会者80余名入学生徒47名  
    3月24日京都移転後第1回の卒業式 卒業生2名 第1回近代オリンピック
    12月25日日曜学校生徒クリスマス 午後同窓会発会式  
1897 明治30 5月昨年と本年の卒業生から康煕字典1部寄贈される  
1898 明治31 3月区役所より外国人教員の問い合わせあり、回答  
    5月23日聖三一大聖堂落成聖別式  
1899 明治32 12月記念の松にマキム主教が「望の松」と命名 高等女学校令公布
1900 明治33 3月グリング院長辞任主教パートリッジ院長就任 治安警察法公布
    7月同窓会誌「望の松」発行届献本2部を添えて内務大臣に提出 北清事変(中国)
    7月松山高吉の揮毫による「望の松」碑を建立 立憲政友会成立
1901 明治34 3月同窓会大会開催来会者70余名 八幡製鉄所操業開始
    9月学院の校旗を調製  
1902 明治35 3月24日卒業式に松山高吉作詞の新校歌を用いる 日英同盟締結
    卒業生は高等科師範部2名 普通科4名 裁縫科10名  
1903 明治36 4月定式の袴を着用校章入りバックルを使用 国定教科書制度
    12月11日本日より寄宿舎内に電灯を点ず  
1904 明治37 1月普通科3名裁縫科4名 前学期の成績による特待生制度発足 日露戦争開始
1905 明治38 3月教員会で特待生3、最優等1、優等3、落第18、仮進級13名他を決定 ポーツマス条約
1906 明治39 6月パートリッジ主教より寄付のピアノ到着 南満州鉄道会社設立
1907 明治40 11月学院規則改正予備科、高等科師範部廃止、同家政部設置 義務教育六年制実施
1908 明治41 11月学院設立者をパートリッジ主教とする  
    12月田村初太郎院長就任  
1909 明治42 9月文部省より普通科卒業生資格を高女四年卒業と同等の指定を受ける  
1910 明治43 3月講堂の学院名の額面を信、望、愛の3字に改める
12月下立売通りに面する校地の一部電気鉄道会社に譲渡の交渉あり
大逆事件
韓国併合
1911 明治44 7月電話機取付学院の番号は[上330番]に決定 平塚雷鳥ら「青鞜社」を結成
1912 明治45 6月15日平安神宮にて京都市三大事業(市電開通など)完成祝賀式 中華民国成立
  大正1 7月30日明治天皇逝去につき院長名で宮内大臣宛書面を出す 第一次護憲運動
1913 大正2 1月特待生23名決定来学期より特待生の資格を改定する  
1914 大正3 4月タッカー主教 学院設立者に就任 第一次大戦開始