学院の沿革
西暦 | 邦暦 | 平安女学院の動き | 社会の出来事 |
1915 | 大正4 | 3月平安高等女学校の設立認可 高等科に秘書部を設置 | 中国に21ヵ条要求 |
4月聖三一幼稚園開設園長ミス・サザン | |||
5月田村院長永眠のため早川喜四郎を後任院長に委嘱 9月就任 | |||
1916 | 大正5 | 2月大正天皇即位の大典に使用した木材の「下付」を願出 | |
11月聖三一幼稚園室町通下立売上ルに移転 | |||
1917 | 大正6 | 8月室町通下立売下ルに幼稚園園舎を新築 | |
11月1日学院関係者追悼会(第1回)を開催 遺族卒業生若王子に墓参 | ロシア革命 | ||
1918 | 大正7 | 3月卒業生の送別会を講堂で行う 本年より開始 | シベリア出兵 |
11月室町通西側に寄宿舎及び女教師館を新築 | 米騒動 | ||
1919 | 大正8 | 5月幼稚園長ミス・サザン帰米、ミス・アンブラー園長就任 | 朝鮮・中国で抗日運動 |
10月31日新校舎(大正館)落成式及び天長節祝賀式 | ベルサイユ条約調印 | ||
1920 | 大正9 | 10月30日教育勅語30年記念式 午後は卓球大会と学芸会を開催 |
国際連盟成立 加盟 |
11月洋式制服及び記章を制定 | |||
12月大正10年度限りで裁縫科の廃止を決定 | |||
1921 | 大正10 | 2月高等女学校を五年制とし、高等科に保姆部を設置する | メートル法採用 |
4月幼稚園を「平安幼稚園」と改称、園長にミス・ディスブロー就任 | ワシントン会議 | ||
ミス・ウイリアムス米国聖公会から派遣され来日 | 日英同盟廃棄 | ||
1922 | 大正11 | 6月京都各女学校卓球大会銅駝校に於て開催本校が優勝 | 全国水平社創立 |
11月高等科2年、本科4年の40名伊勢・東京・日光方面へ卒業旅行 | イタリアファシスト内閣成立 | ||
1923 | 大正12 | 9月寄託された反物帯地を衣類に製作、古着800点と合せ被災地に発送 | 関東大震災 |
12月聖三一大聖堂で聖アグネス教会の創立発会式 | 朝鮮人・社会主義者ら大虐殺 | ||
1924 | 大正13 | 4月早川院長満州へ視察に赴く | 第二次護憲運動 |
7月小浜へ海水浴 | |||
1925 | 大正14 | 3月23日卒業式高等科44名本科は五年級設置のため卒業者なし | 治安維持法公布 |
8月早川院長学事視察のため渡欧 翌年4月帰国 | 普通選挙法公布 | ||
1926 | 大正15 | 5月学院設立者をニコルス主教に変更 | |
6月高等科(家政部・保育部)卒業生に教員免許状交付 | |||
7月京都市電河原町線丸太町四条線開通 | |||
昭和1 | 11月バザー開催 | ||
1927 | 昭和2 | 8月有志者による富士登山実施 | 金融恐慌 |
9月卒業旅行として朝鮮に行く | |||
1928 | 昭和3 | 6月「平安女学院新聞」創刊内務大臣に届出る | 第1回普通選挙実施 |
12月クリスマス音楽礼拝式を行う | |||
1929 | 昭和4 | 3月 学院規則改正高等科を専攻部(英文・家政科三年、保育科二年)とする | |
3月22日 新校舎落成感謝式挙行式後講堂で西洋食の立食会を開催 | 世界恐慌始まる | ||
12月19日 第1回クリスマス・カンタータを行う | |||
4月 旧館を明治館、煉瓦校舎を大正館、新校舎を昭和館と命名 | |||
1930 | 昭和5 | 1月21日 聖アグネスの日を創立記念式日と定める | ロンドン軍縮条約調印 |