大阪高槻キャンパス

大阪高槻キャンパス

大阪高槻キャンパス

京都・大阪から新快速でおよそ15分。JR高槻駅からは、20分ほどのアクセス。構内は花と緑にあふれ、キャンパス内の自然観察林からは高槻市内を一望できます。

大学附属こども園と子育て支援施設を併設した「子ども教育」を学ぶには最適なキャンパス。静かな環境の中、自然や子どもと触れながら、じっくり「先生」への学びに取り組めます。

子どもと遊べる環境

周辺は閑静な住宅街

キャンパスマップ

キャンパスマップ

キャンパスマップ

パソコンルーム

ピアノ練習室

どんぐりの森

学生サロン

アートギャラリー

図書館

キャリアサポート

センター

大学事務室

正門

チャペル

食堂

ウイリアムズホール

西門

グラウンド

テニスコート

附属こども園

冒険の森

パソコンルーム

ピアノ練習室

どんぐりの森

学生サロン

アートギャラリー

図書館

キャリアサポート

センター

大学事務室

正門

チャペル

食堂

ウイリアムズホール

西門

グラウンド

テニスコート

附属こども園

冒険の森

パソコンルーム

ピアノ練習室

どんぐりの森

学生サロン

アートギャラリー

図書館

キャリアサポート

センター

大学事務室

正門

チャペル

食堂

ウイリアムズホール

西門

グラウンド

テニスコート

附属こども園

冒険の森

パソコンルーム

ピアノ練習室

どんぐりの森

学生サロン

アートギャラリー

図書館

キャリアサポート

センター

大学事務室

正門

チャペル

食堂

ウイリアムズホール

西門

グラウンド

テニスコート

附属こども園

冒険の森

大学施設

大学施設

大学施設

図書館

図書館

2フロアの広いスペースに約19万冊の蔵書。個人学習コーナーもゆったり確保しています。

ウイリアムズホール

ウイリアムズホール

体育の授業や各種クラブ活動、クリスマス・カンタータなどの大学行事も行われます。

ピアノ個人練習室

ピアノ個人練習室

自由に個人レッスンができるピアノ練習室は21室。個人指導も受けられます(要予約)。

キャリアサポートセンター

キャリアサポートセンター

キャリア指導の専門担当職員が常駐し、進路の相談・指導にマンツーマンで応じます。

食堂・ショップ

食堂・ショップ

バラエティに富んだ昼食メニューのほか、スナックやソフトドリンク類も揃っています。

チャペル

チャペル

礼拝のほかコンサートや講演などが行われます。チャプレンが心の相談に乗ってくれます。

どんぐりの森

どんぐりの森

「高槻市地域子育て支援拠点事業つどいの広場」として、赤ちゃん連れのお母さんたちが集います。

自然観察林

自然観察林

学生の自然を題材にした研究実習の場であり、園児たちの遊び場ともなっています。

ツリーハウス

ツリーハウス

自然観察林にある手づくりのツリーハウスからは、眼下に高槻市内の大パノラマが。

平安女学院大学附属こども園

平安女学院大学附属こども園

ボランティアや体験実習を通して、学生と園児たちの貴重な交流の場となっています。

大阪高槻キャンパス

〒569-1092

大阪府高槻市南平台5丁目81番1号

大阪高槻キャンパス

〒569-1092

大阪府高槻市南平台5丁目81番1号

大阪高槻キャンパス

〒569-1092

大阪府高槻市南平台5丁目81番1号

大阪高槻キャンパス

〒569-1092

大阪府高槻市南平台5丁目81番1号

建学の精神

知性を広げ、望みを高くし、

感受性を豊かにし、そして神を知らせる

この言葉は、大阪の川口居留地で米国聖公会宣教師として活躍していたクインビー司祭が、

1875(明治8)年3月20日付で本国へ書き送った手紙の中に見いだされ、

米国聖公会ミッションの中心人物であったウイリアムズ主教による女学校設立の方針に沿って、

その準備にとりかかっていた時に述べられたものです。

この建学の精神は、現在に至るまで本学院の教育の根底に一貫して流れています。

建学の精神

知性を広げ、望みを高くし、

感受性を豊かにし、そして神を知らせる

この言葉は、大阪の川口居留地で米国聖公会宣教師として活躍していたクインビー司祭が、

1875(明治8)年3月20日付で本国へ書き送った手紙の中に見いだされ、

米国聖公会ミッションの中心人物であったウイリアムズ主教による女学校設立の方針に沿って、

その準備にとりかかっていた時に述べられたものです。

この建学の精神は、現在に至るまで本学院の教育の根底に一貫して流れています。

建学の精神

知性を広げ、望みを高くし、

感受性を豊かにし、そして神を知らせる

この言葉は、大阪の川口居留地で米国聖公会宣教師として活躍していたクインビー司祭が、

1875(明治8)年3月20日付で本国へ書き送った手紙の中に見いだされ、

米国聖公会ミッションの中心人物であったウイリアムズ主教による女学校設立の方針に沿って、

その準備にとりかかっていた時に述べられたものです。

この建学の精神は、現在に至るまで本学院の教育の根底に一貫して流れています。