
国際観光学部 教員紹介
国際観光学部 教員紹介
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松木 駿也
松木 駿也
特任助教
特任助教
興味を持った場所に何度も足を運んでみて、地域を見る力を身につけましょう。
興味を持った場所に何度も足を運んでみて、地域を見る力を身につけましょう。
興味を持った場所に何度も足を運んでみて、地域を見る力を身につけましょう。
興味を持った場所に何度も足を運んでみて、地域を見る力を身につけましょう。
修士(理学)
修士(理学)
観光景観論/地域環境資源と観光/京都フィールド演習Ⅰ/観光学基礎演習Ⅱ/ジェネリックスキルⅢ・Ⅳ/フィールドワークの方法/観光調査法/観光フィールド実習Ⅰ(国内)/観光学講読演習Ⅱ/国際観光開発論/エコツーリズム論
観光景観論/地域環境資源と観光/京都フィールド演習Ⅰ/観光学基礎演習Ⅱ/ジェネリックスキルⅢ・Ⅳ/フィールドワークの方法/観光調査法/観光フィールド実習Ⅰ(国内)/観光学講読演習Ⅱ/国際観光開発論/エコツーリズム論
日本地理学会、人文地理学会
日本地理学会、人文地理学会
人文地理学
人文地理学
災害経験や防災対策の文化資源化とその共有
災害経験や防災対策の文化資源化とその共有
1. 松木駿也, 2025. 「自然」を含有するインフラストラクチャーの景観形成―長野県牛伏川の歴史的砂防施設群を事例に―. 人文地理, 77(4): 431-455. 2. 松木駿也, 2024. 被災地における災害の語りと科学知―島原半島ジオパークにおけるガイドや語り部の動向―人文研究, 75: 156-178. 3. 松木駿也・笹尾健二, 2015. 室戸ジオパークにおけるジオストーリーのツーリズムでの活用. ジオパークと地域資源, 1(1): 19-25.
1. 松木駿也, 2025. 「自然」を含有するインフラストラクチャーの景観形成―長野県牛伏川の歴史的砂防施設群を事例に―. 人文地理, 77(4): 431-455. 2. 松木駿也, 2024. 被災地における災害の語りと科学知―島原半島ジオパークにおけるガイドや語り部の動向―人文研究, 75: 156-178. 3. 松木駿也・笹尾健二, 2015. 室戸ジオパークにおけるジオストーリーのツーリズムでの活用. ジオパークと地域資源, 1(1): 19-25.
過去の災害経験や災害対策が地域の資源となり、防災減災に活かされるようになることを研究しています。災害・防災に関する経験や知識が、観光や教育などの場面でいかに活用されているか、ジオパーク、語り部、防災学習、防災インフラなど幅広い事例をもとに考えています。
過去の災害経験や災害対策が地域の資源となり、防災減災に活かされるようになることを研究しています。災害・防災に関する経験や知識が、観光や教育などの場面でいかに活用されているか、ジオパーク、語り部、防災学習、防災インフラなど幅広い事例をもとに考えています。
大学生という体力と時間のあるうちに、興味のある場所をたくさん訪問してみてください。一度だけでなく何度も繰り返し訪れることで、お世話になった人、美味しいご飯屋さん、景色のきれいなところなど、好きな人・場所が増えることでしょう。そして、「第二の故郷」と思えるような場所を見つけてくれたら嬉しいです。
大学生という体力と時間のあるうちに、興味のある場所をたくさん訪問してみてください。一度だけでなく何度も繰り返し訪れることで、お世話になった人、美味しいご飯屋さん、景色のきれいなところなど、好きな人・場所が増えることでしょう。そして、「第二の故郷」と思えるような場所を見つけてくれたら嬉しいです。
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建学の精神
知性を広げ、望みを高くし、
感受性を豊かにし、そして神を知らせる
この言葉は、大阪の川口居留地で米国聖公会宣教師として活躍していたクインビー司祭が、
1875(明治8)年3月20日付で本国へ書き送った手紙の中に見いだされ、
米国聖公会ミッションの中心人物であったウイリアムズ主教による女学校設立の方針に沿って、
その準備にとりかかっていた時に述べられたものです。
この建学の精神は、現在に至るまで本学院の教育の根底に一貫して流れています。

建学の精神
知性を広げ、望みを高くし、
感受性を豊かにし、そして神を知らせる
この言葉は、大阪の川口居留地で米国聖公会宣教師として活躍していたクインビー司祭が、
1875(明治8)年3月20日付で本国へ書き送った手紙の中に見いだされ、
米国聖公会ミッションの中心人物であったウイリアムズ主教による女学校設立の方針に沿って、
その準備にとりかかっていた時に述べられたものです。
この建学の精神は、現在に至るまで本学院の教育の根底に一貫して流れています。

建学の精神
知性を広げ、望みを高くし、
感受性を豊かにし、そして神を知らせる
この言葉は、大阪の川口居留地で米国聖公会宣教師として活躍していたクインビー司祭が、
1875(明治8)年3月20日付で本国へ書き送った手紙の中に見いだされ、
米国聖公会ミッションの中心人物であったウイリアムズ主教による女学校設立の方針に沿って、
その準備にとりかかっていた時に述べられたものです。
この建学の精神は、現在に至るまで本学院の教育の根底に一貫して流れています。