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国際観光学部 教員紹介

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毛利 憲一

毛利 憲一

教授、副学長

教授、副学長

自分が本気で打ち込める「好きなこと」を見つけて、それを伸ばして下さい。それが大学での「学び」です。平安女学院大学には、それを支援してくれる先生や先輩がいます。

自分が本気で打ち込める「好きなこと」を見つけて、それを伸ばして下さい。それが大学での「学び」です。平安女学院大学には、それを支援してくれる先生や先輩がいます。

自分が本気で打ち込める「好きなこと」を見つけて、それを伸ばして下さい。それが大学での「学び」です。平安女学院大学には、それを支援してくれる先生や先輩がいます。

博士(文学)

京都学概論/京都フィールド演習Ⅰ/京都の歴史Ⅰ・Ⅱ/観光フィールド実習Ⅰ(国内)/京都観光案内実習Ⅰ・Ⅱ/観光学講読演習Ⅰ/京都観光研究/専門演習Ⅳ/卒業研究

日本史研究会、歴史学研究会、歴史科学協議会、考古学研究会、日本歴史学会、木簡学会、古代学協会、京都民科歴史部会、続日本紀研究会、立命館史学会、観光学術学会

日本史(古代)

①日本古代における地方支配史、社会史。特に7・8世紀の地方支配組織、税制の研究
②歴史的遺産の価値、観光活用の方法と課題の研究
③京都地域における古写真資料の研究

1. 毛利憲一「八世紀前半期の地方財政――大税と郡稲を中心に」、山尾幸久編『古代日本の民族・国家・思想』塙書房、pp.183-212、2021年。

2. 毛利憲一「世界遺産と落書き――観光における「祈り」の文化」、平安女学院大学国際観光学部編『観光学の未来』白川書院、pp.200-211、2019年。

3. 毛利憲一「6・7世紀の国家と収取制度」、『歴史学研究』第976号、pp.45-54、2018年。

4. 毛利憲一「大化改新と改新詔――造籍の問題を中心に」、『日本史研究』第662号、pp.3-28、2017年。

5. 毛利憲一「アルバムを作るということ――京都市地域における古写真伝来の一様相」、京都映像資料研究会編『古写真で語る京都――映像資料の可能性』淡交社、pp.140-168、2004年。

①専門は、日本の古代史です。最近は、調庸制の歴史的展開、稲の収取・運用制度の変遷に深い関心を抱いています。また古代の仏教説話集『日本霊異記』についても研究をしています。目下、公出挙についての論文を仕上げること、『霊異記』下巻注釈書の原稿を書き上げることに注力していますが、残念ながら研究する余裕のない日々が続いています。
②私は、平安女学院大学国際観光学部に着任して18年になります。その間、学生のみなさんと京都の観光と歴史遺産について学ぶことで、京都地域の歴史や文化財の観光活用への関心も深めてきました。ここで考えたこともいずれきっちり論攷としてまとめたいと思っています。
③結論。勉強時間が欲しい。

自分が本気で打ち込める「好きなこと」を見つけてください。それを深めたり拡げたりして、どんどん成長して下さい。それが大学での「学び」です。平安女学院大学には、それを支援してくれる先生や先輩がいます。「好きなこと」にゆっくり取り組める時間もあります(アルバイトも授業もあるけど、でも比較的ヒマなのが大学時代なのです)。今は忙しく窮屈で閉塞感の漂う時代ですが、大学は、そんな「世間」から少し隔離された「逃げ場所」です。大学で悔いなく取り組んだことは、それがどんなことであれ、社会に出てからのあなたの人生で「しんどいとき」にあなた自身を支えてくれるでしょう。

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建学の精神

知性を広げ、望みを高くし、

感受性を豊かにし、そして神を知らせる

この言葉は、大阪の川口居留地で米国聖公会宣教師として活躍していたクインビー司祭が、

1875(明治8)年3月20日付で本国へ書き送った手紙の中に見いだされ、

米国聖公会ミッションの中心人物であったウイリアムズ主教による女学校設立の方針に沿って、

その準備にとりかかっていた時に述べられたものです。

この建学の精神は、現在に至るまで本学院の教育の根底に一貫して流れています。

建学の精神

知性を広げ、望みを高くし、

感受性を豊かにし、そして神を知らせる

この言葉は、大阪の川口居留地で米国聖公会宣教師として活躍していたクインビー司祭が、

1875(明治8)年3月20日付で本国へ書き送った手紙の中に見いだされ、

米国聖公会ミッションの中心人物であったウイリアムズ主教による女学校設立の方針に沿って、

その準備にとりかかっていた時に述べられたものです。

この建学の精神は、現在に至るまで本学院の教育の根底に一貫して流れています。

建学の精神

知性を広げ、望みを高くし、

感受性を豊かにし、そして神を知らせる

この言葉は、大阪の川口居留地で米国聖公会宣教師として活躍していたクインビー司祭が、

1875(明治8)年3月20日付で本国へ書き送った手紙の中に見いだされ、

米国聖公会ミッションの中心人物であったウイリアムズ主教による女学校設立の方針に沿って、

その準備にとりかかっていた時に述べられたものです。

この建学の精神は、現在に至るまで本学院の教育の根底に一貫して流れています。