平安女学院大学

歴史と沿革
大学の歴史的文化財

Historical Cultural Properties of the University

明治館(国登録有形文化財)

名誉ある「英国王立建築家協会正会員」で、神戸異人館の旧ハッサム邸を建てたことでも有名なアレクサンダー・N・ハンセル氏が設計。
建築様式は当時英国で大流行していた「クイーンアン・スタイル」です。

有栖川宮旧邸 有栖館(国登録有形文化財)

当初、京都御所建礼門前にあった有栖川宮邸が、その後京都裁判所の仮庁舎として使用された後、京都地方裁判所所長宿舎の一部として現在の場所に移築されました。この施設を2008年に本学院が取得。
書院造りの主屋とともに、烏丸通り側の青天門、下立売通側の長屋門が、それぞれ国の登録有形文化財となっており、幕末から大正にかけての公家屋敷や高級官舎の当時の様相を今に伝えています。
太閤秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺の孫にあたる枝垂れ桜、十一代目「植治」当主の小川治兵衞氏作の庭園なども見どころです。

昭和館(国登録有形文化財)

1929年に建築。
意匠設計は、当時聖路加国際病院や京都聖三一教会などを手がけたアメリカ人建築家のJ・V・Wバーガミニー氏が、構造設計は「日本における耐震構造の父」と評され東京タワーや通天閣などを手がけた内藤多仲氏が担当。
堅牢な建物ながら、「尖頭アーチ」や「メダリオン―徽章やシンボルマークなどのレリーフ」を効果的に用いて華やかさを見せています。

聖アグネス教会(京都市指定有形文化財)

円山公園の「長楽館」を設計したことで有名なアメリカ人のJ・M・ガーディナー氏の設計によって、1898年に竣工。
外観はレンガ造り・ゴシック様式の「三廊式バジリカ型」と呼ばれる西洋の典型的な教会様式です。
内部のデザインも、随所に明治期のキリスト教会堂の特色を伝えています。

菅原家の古井戸

「烏丸通下立売下ル天満宮」は菅原道真誕生の地で、塀を隔てた学院の構内に現存する古井戸は、「道真公産湯の井戸」と伝えられています。
菅原公は文学の神として貴ばれたことから、京都移転後の学院の名称を「道真学校」とする意見もあったといわれます。

旧二条城の碑

織田信長は天下統一のため1568(永禄11)年、足利義昭を奉じて入京。
翌年義昭のため築城したのが旧二条城と呼ばれるもので、京都御苑の一隅から平安女学院にかけての一帯にかけての地にありました。
石碑は、本学室町館の北東角にあります。

斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址

室町時代、足利尊氏はその一族である斯波義将にこの地を与え「武衛陣の屋敷」と呼びました。これを斯波氏が相続したものの、応仁の乱で消失。その後、足利将軍の幕府は、斯波氏の武衛陣を修理してここに幕府を移しました。
足利義晴の子義輝は1550(天文19)年にこの邸に住み、のちに拡張しました。

日本最古級のオルガン

2014年秋に解体修理された、学院所蔵の「リードオルガン」が日本最古級のものであることが確認されました。
この、アメリカのメイソンハムリン社製のオルガンは、これまで1886年の製造と考えられていましたが、修理に当たった「ふたば楽器店」(宇治市)の加藤氏によって、オルガン内部に刻印されている製造番号から、1866年の製造であることが分かりました。
パリ万国博覧会(1876年)をはじめ数々の品評会で多くのメダルを獲得している名品です。

日本初のセーラー服

1903(明治36)年、本学院は全国に先駆けて生徒の服装を統一。最初は一定の袴(はかま)を着用し、紐に校章入りのバックルをつけて「制服」としました。
1920(大正9)年には、日本で初めて制服を洋装化し、セーラー服を採用。以後、日本ではセーラー服が女子生徒の制服の「定番」となりますが、本学院のセーラー服は、服飾専門家によれば、素材・縫製・デザインいずれにおいても、広く知られる「セーラー服」とは違う、独創的で文化的価値の高いものとされています。